歴史

御教祖様

  • 御教祖様

    御教祖様

    天保5年2月16日明治39年10月16日
    佐野 経彦(さの つねひこ)
    天保五年二月十六日
    生誕
    七歳
    岡村嘉辰[よしたつ]翁より字を習い始める。
    八歳
    紫川の奇跡
    御教祖様の紫川の奇跡
    十二歳
    造化宮での病気平癒祈願
    十七歳
    西田直養[なおかい]翁の門下に入る。
    二十一歳
    父君経勝[つねかつ]翁八十一歳、帰幽。
    「天津皇産霊考[あまつみむすひこう]」著す。
    三十二歳
    母君佐陀子[さだこ]刀自七十三、帰幽。
    御教祖様は西田直養(なおかい)翁の門下に入る。
    御教祖様は西田直養(なおかい)翁の門下に入る。
    三十五歳
    明治となる。
    四十三歳
    「汝、明星代神たるべし」の御神命を賜わる。
    四十五歳
    神理図・図解
    四魂論[しこんろん]
    四十六歳
    神理学入門
    四十七歳
    明治十三年七月十九日、神理教会設立。
    二十五日、御教誡。
    四十九歳
    有栖川宮「神理無敵」。
    伊藤博文公「赫々神理教」。
    五十一歳
    ニコライ問答
    五十四歳
    上京、中山道、木曽街道を布教。
    中山道、木曽街道を布教。
    六十一歳
    明治二十七年十月十九日、独立公認。
    六十二歳
    東北、北陸、山陽、山陰を布教。
    六十六歳
    万国平和大祈祷
    七十歳
    古希祝。造化宮建立。
    七十三歳 
    明治三十九年十月十六日、七十三歳、昇天。
    「天津神理誠之道知部経彦命[あまつみことわりまことのみちしるべつねひこのみこと]」

歴代管長

  • 二代様

    二代様

    明治40年(1907年)3月29日昭和11年(1936年)10月12日 30年近くの在職の間、御教祖の教えを整理すると共に、全国に加え朝鮮半島への布教を行い、教線の拡大強化に努められた。
    御教祖は世襲を潔く思われなかったようだが、高弟の中でも人格識見最上位と伝ええられている。
    佐野 伊豆彦(さの いづひこ)
  • 三代様

    三代様

    昭和12年(1937年)2月3日昭和23年(1948年)4月21日 11年ほどの在職であったが、戸籍上の姓を巫部に戻し、青年部を創設するなど布教に尽くされた。
    佐野 珍彦(さの うづひこ)
  • 四代様

    四代様

    昭和23年(1948年)5月21日平成18年(2006年)4月25日 58年近くの在職で、独立・開教・教祖昇天の10年毎の式年祭を行い、教会への布教活動を行い、御教祖の教書の活字化を多数行い教えの普及に努められた。
    この間平成18年1月号まで神理誌に『おことば』や教祖御著書の活字化を寄稿、また月刊たよりを昭和41年1月より40年間主宰し443信を発行された。
    巫部 健彦(かんなぎべ たけひこ)
  • 五代様

    五代様

    平成18年(2006年)5月13日
    巫部 祐彦(かんなぎべ さちひこ)
    学歴
    昭和30年 5月29日小倉南区徳力生れ
    昭和35年 4月神理幼稚園 入園(4歳)
    昭和37年 4月北九州市立 徳力小学校 入学
    昭和43年 4月北九州市立 企救中学校 入学
    昭和45年 4月新設市立 志徳中学校 転校
    昭和46年 3月新設市立 志徳中学校 卒業
    昭和49年 3月福岡県立 小倉高等学校 卒業
    昭和49年 4月学習院大学 経済学部 経済学科 入学
    昭和54年 3月学習院大学 経済学部 経済学科 卒業
    昭和54年 4月國學院大學 神道専攻科 入学
    昭和55年 3月國學院大學 神道専攻科 中退
    職歴・履歴
    昭和55年 4月(宗教法人)神理教、及び神理教本院 奉職・新大教主
    昭和55年 4月(宗教法人)神理教本院 神理幼稚園 奉職
    昭和58年 4月(学校法人)神理学園 神理幼稚園 事務局長・主事
    昭和61年10月(宗教法人)神理教 神理教大教庁 責任役員・総務局長
    昭和59年 7月(宗教法人)神理教 参議員
    昭和59年11月 3日高山家の次女恵理と結婚
    平成 3年 1月(宗教法人)神理教 神理雑誌 編集長(H18.9月まで)
    平成16年 4月(宗教法人)神理教 副管長
    平成18年 4月(学校法人)神理学園 神理幼稚園 園長
    平成18年 5月13日(宗教法人)神理教、及び神理教本院 代表役員・管長・大教主
    平成18年 6月(学校法人)神理学園 理事長
    社会奉仕等(経験含む)
    昭和63年 1月

    約10年
    北九州市立 志徳中学校 同窓会会長
    平成 6年 7月

    平成18年 5月
    神理教青年部 本部長
    平成 7年 4月

    平成18年
    (社団法人)小倉法人会 青年部 理事
    平成11年12月神理教皇居清掃奉仕団 団長
    平成10年

    平成12年
    企救丘小学校 会長2年(前副会長1年)
    平成14年 4月

    平成18年 3月
    (社団法人)北九州市立幼稚園連盟 副会長
    平成17年 4月

    平成18年 3月
    (社団法人)北九州市立幼稚園連盟 研究委員長
    平成17年 4月北九州市活性協議会(KPEC)委員
    平成18年 4月

    平成19年 3月
    九州国際大学付属女子高校 育友会 会長(前副会長)
    平成19年 4月福岡県立小倉高校 保護者教師会 副会長など
    資格
    社会科中学1級・高校2級・自動車大型免許
    家族
    母 伯母1人 妻 息子2人 娘1人
  • 新大教主

    新大教主

    平成31年(2019年)4月3日
    巫部 文彦(かんなぎべ ふみひこ)
    学歴
    福岡県立 小倉高等学校 卒業
    慶應義塾大学 法学部 法律学科 卒業
    國學院大學  神道学専攻科 卒業
    職歴
    平成29年 4月鎌倉市 鶴岡八幡宮 奉職・権禰宜
    平成31年 4月古神道神理教    奉職・新大教主
    平成31年 4月神理幼稚園     奉職・主事補

歴史

  • 初代高祖・饒速日命
    [にぎはやひのみこと]
    (十種神宝・神事)物部氏・巫部家の始め。
    邇邇芸命[ににぎのみこと](三種神器・政治・天皇家)の兄(大祓の皇孫命[すめみまのみこと])
  • 二代・宇麻志麻知命
    [うましまじのみこと]
    申食国政大夫[おすくにまつりごともうすのまえつきみ]、卜部・忌部を率い神事。
  • 七代・伊香色雄命
    [いかしこおのみこと]
    300年初頭大臣として開化(十種神宝にて疫病平癒)
    ・崇神(十種神宝を石上大神と称え言霊を明らかにする)天皇に仕える。
  • 九代・瞻咋宿祢命
    [いくいすくねのみこと]
    391神功皇后の三韓征伐、物部姓・連[むらじ]に叙せらる(北部九州に地の利を得る)徳力←徳利木←採木、帆柱山、御手洗池、船原(南方)
  • 十代宗祖・物部五十言宿祢命
    [いそことすくねみこと]
    五十言[いそこと]の言霊[ことだま]・神字(町形)を明らかにする。
  • 十二代先祖・物部以美岐連命
    [いみきみらじのみこと]
    430年頃履中天皇より弓矢を賜り諸国病気平癒命じられる。大嘗山へ天在諸神鎮座。疫病退治は他に十七・十九・三十四・三十六・三十八・六十八・七十三・七十七代(御教祖)など
  • 十六代開祖・巫部(物部)兄奇宿祢命
    [えぐしすくねみこと]
    480年頃雄略天皇の難病を平癒、巫部姓と日月五星。豊前巫部・日月家の始まり。
  • 十九または二十代頃
    磐井の乱528・親族(物部真椋大連の孫を十七代大久志命が妻に迎える)である物部連麁鹿火を助勢。
  • 二十一代・巫部大椋命
    [おおくらみこと]
    587蘇我氏との抗争・物部守屋と共に戦い行方不明。
  • 三十一代中祖・巫部連麻呂命
    [むらじまろのみこと]
    825巫部家の伝書・教義・神術を集成。
  • 四十五代・巫部三郎清名命
    [さぶろうきよなのみこと]
  • 四十六代・巫部太郎丸盛名命
    [たろうまるもりなのみこと]
    1185源平の戦い・安徳天皇を長野に迎えようとして果せず戦死。
  • 五十一代・巫部太郎太夫高光命
    [たろうだゆうだかみつみこと]
    1281元寇弘安の役・人心平安・異賊退治を祈願、大巫司[おおかんなぎつかさ]・大宮司となる。
  • 五十三代・巫部左馬介高樹命の義父巫部左右衛門尉高足命
    茶花の本元
    1336九州敗走の足利尊氏に花を献じ、後に花枝(東大野)の地を受ける。
  • 五十六代・巫部右京介重興命
    [うきょうのすけしげおきのみこと]
    1413天在諸神の神祠を再建、大友・毛利・杉の大名を教化。
  • 六十三代・巫部左馬重威命
    [さましげたけのみこと]
    親族の佐野源衛門親重に一人娘菊野を嫁がせ、その長男を養子に迎える。
    大内・大友の戦乱、その親重はその長男親政以下の兄弟と共に、戦乱のままに蒲生の虹嶽城・宇佐の土井(佐野)城などを転戦し、戦死。
  • 六十四代・巫部左衛門重足命
    [さもんしげたりのみこと]
    (兄弟共に帰った佐野源治郎親政、改め)
    造化神社で細川忠興の父、幽齋(藤孝)の眼病平癒を祈る。
  • 六十五代・巫部右京常重命
    [うきょうつねしげのみこと]
    1615大阪夏の陣に籠城戦死(後に割腹)
  • 六十六代・佐野左馬重足命
    [さましげたりのみこと]
    徳力権太郎細川忠興候の命にて、縁故の佐野姓に改める。
  • 六十七代・佐野徳力四郎重家命
    [とくりきしろうしげいえのみこと]
    1621徳力村惣庄屋・神事にも力を注ぐ。
  • 六十八代・佐野左衛門重孝命
    [さえもんしげたかのみこと]
    淫祠の疑いを受け数多くの神宝を没収されるが、誤解が解け返還。
  • 七十一代・佐野三左衛門経之命
    [さんざえもんつねゆきのみこと]
    俳諧・西田宗因に続き松尾芭蕉の門に入り其香と号す。芭蕉に“行きて見む 花につくしの 嵐山”の句を頂く。孫、七十三代・長三郎経長命が句碑を紫川河畔に建立。現在造化宮に移設。
  • 造化神社(大神宮・小松宮彰仁親王)
    天皇家が政治〔まつりごと〕を司るのに対し、物部(巫部)家は神事を司ると伝えられていた。この系譜でもわかるように、武力を用いた先祖は失敗し、神事を通じて世に貢献する先祖は成功をしていた。