教え

歴史と概要

神理教とは

神理教は我が国の古代神道を復興したものです。

私たちは、神様より「たましい」そして両親から「からだ」をいただいて今があります。

ですから、私達は,神の子・先祖の子であります。私たちは、神様や先祖の御心を知り、その御心に従って生き、子孫に伝えるという使命を持っています。

神様を中心にして日々生活し、積徳に努める。その生活態度は,神と先祖の御守護が増大して円満繁栄の道が開かれるのであります。

神道

本教(今後神理教をこう以下に記します)は、開教(明治13・西暦1880年)からもう、120年近く経っております。

また御教祖の家は、この地(福岡県北九州市小倉南区徳力)で何十代も神社をお守りしてきました。

境内には三百人ほどが通う神理幼稚園があり、約一万五千坪の緑豊かな環境で目一杯遊ぶことができるということで、大変喜んで頂いています。

それでも新入園児の保護者の方は心配なようで、御質問を頂くのですが、最初のようにお応えすると、「ああ、神様ですか!」と納得されます。

それで仏教のお寺やキリスト教の教会とは違い、神社の部類に入ることがお分かりになるようです。

類別(古神道)

分類すると、日本には最初はまだ名前はついてなかったものの、“神道”があり、六世紀の半ばに“仏教”が、また十六世紀の半ばには“キリスト教”が入ってきました。

神道は明治の初めに、布教をしない神社神道と、布教を行う教派神道に別れました。

本教は、その教派神道の13派のうちの一つとなったのです。

第二次世界大戦前の日本における宗教教団は、神社神道の他にこの教派神道の13派と、仏教教団などの27派の約40教団であったようです。

本教はその中で九州に本部を持つ唯一の教団ですが、それが善し悪しは別にしても、現代の時代の波に流されにくい原因となったように思えます。

神社神道は伊勢神宮を中心としますが、八幡神社や稲荷神社など、おまつりする神様により信仰の性格が違います。

教派神道も山岳信仰や民族信仰や、仏教と融和した信仰や新しい神を創称したものなど、やはり教派によって信仰の性格が違います。
本教はその中でも、純神道とか復古神道とか古神道と分類されています。

この古神道は、日本にはいってきた仏教やキリスト教と影響を及ぼし合った部分はあるものの、基本的には無関係であり、人間の原初の信仰を純粋に受け継ごうとするものなのです。

従って、いろいろな宗教の特長をつなぎ合せた教義の教団ではありません。

日本人という以前に、人間が太古から長い間頼ってきた本来の信仰にこそ自然で本当の教えがある、という考えなのです。

人間の心のルーツ(根元)、ともいうべきものなのです。

本来の信仰

世界的に見てもそうです。

仏教やキリスト教やイスラム教が、何百万年の人類の歩みの中で、一千五百年から二千五百年という、ごく最近出現する以前の信仰は何だったのでしょうか。

自然や祖先を神として尊崇し、その守りを願うというものであったと思われます。

ヨーロッパにもギリシア神話がありますし、仏教が興る前のインドを始め、世界中にその痕跡が見られます。

北アメリカのインディアンや南アメリカ、アフリカ、東南アジア、日本のアイヌや沖縄等には、今もそうした自然の信仰が現存しています。

世界中の自然の信仰の大部分は、人間の手が加わり“おごり”が増大し、“腐敗”した時に、新しく人間が作った信仰に取って代わられ、忘れ去られてしまったようです。

腐敗するような信仰は駄目だ、と思われたのでしょうか。

その新しい教えも、また“腐敗”の歴史をたどり、離合集散を繰り返しながら現在に至っています。

ともあれ、地球規模で見てもそれぞれの地域に、人間が太古から長い間頼ってきた本来の信仰、自然で本当の教えがあったのです。

日本の神道は、いろいろな宗教が流入しながらも、その教えを残すことが出来ました。

この信仰の中にこそ人間本来の教えがあり、忘れられつつあるものの、これこそ人間が大切にしなければならない、本来の信仰ということが出来ます。神=自然は私たちを生んでくれた大元の親と考えます。だから、安心して頼り信じることが出来るし、大きな御加護・御神徳を頂くことが出来るのです。

本教の御教祖、佐野(巫部)経彦命は、家に伝わった神道の教えと、日本に伝わった神道の教えである国学を併せ、大成されました。
この本来の教えを世界中の人に呼び覚まし、幸せと安心を得て頂こうとするのが「神理教」の熱い思いなのです。

教えの流れ

日本では古来より天皇は国民の心の支えであり、求心力を持つこの国の柱として尊嵩されてきましたが、御教祖の祖先は、その皇室の祖先神でもある天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)の御孫、邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄にあたる饒速日命(にぎはやひのみこと)に始まります。

邇邇芸命は三種の神器をもって政治を、饒速日命は十種神宝をもって神事をつかさどるように、その役割を頂きました。

饒速日命は御教祖の祖先で、九代膽咋宿祢命(いくいすくねのみこと)の時に物部(もののべ)の姓となり、十六代兄奇宿祢命(えぐしすくねのみこと)の時に雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の難病平癒の功で巫部(かんなぎべ)の姓を戴きました。

六十六代佐野左馬重足命(さのさましげたりのみこと)の時に、先代が神道を守ろうと江戸幕府に敵対し、大阪城での戦死したことをはばかり、佐野の姓を名乗るようになりました。

江戸の末期には、巫部の姓を使うこともありましたが、戸籍上は神理教の三代管長巫部珍彦命(かんなぎべうずひこのみこと)の時に、巫部の姓に戻すこととなりました。

物部・巫部・佐野と、古くからの神道の教えを受け継ぎ、七十七代の御教祖の時に大成され、世のため人のために開示されたのです。

本教大意など御教

本教大意

18柱の神々

天在諸神

  • 一、天照皇大神
    〔あまてらすすめおおかみ〕
    天在諸神十五柱を代表する神
別天神
  • 一、天之御中主神
    〔あめのみなかぬしのかみ〕
    万物の中心で根元の神
  • 一、高皇産巣日神
    〔たかみむすひのかみ〕
    万物生成の元で、陽の始の神
  • 一、神産巣日神
    〔かみむすひのかみ〕
    万物生成の元で、陰の始の神
  • 一、宇麻志阿志詞備彦遅神
    〔うましあしかびひこじのかみ〕
    陽の発展を司る神
  • 一、天之常立神
    〔あめのとこたちのかみ〕
    陰の充実を司る神
  • 一、国常立神
    〔くにのとこたちのかみ〕
    大地の根元の神。孕みの一ケ月目を守る。
    水兄神。北・冬を司る。人体では、胃を守り、亥歳の守り
  • 一、豊雲野神
    〔とよくもぬのかみ〕
    国常立神の働きを継ぐ水弟神。孕みの二ケ月目を守る。
    人体では、腎臓を守り、子歳の守り神。
  • 一、宇比遅邇神
    〔ういじにのかみ〕
    土を司る神。孕みの三ケ月目を守る。土兄神。四土用の守り神。
    人体では、肉と脾臓を守り、丑・辰歳の守神。中央。
  • 一、須比遅邇神
    〔すいじにのかみ〕
    前の神の働きを完成する神。土弟神。
    孕みの四ケ月目を守る。未・戌歳の守神。
  • 一、角杙神
    〔つぬぐいのかみ〕
    気を司る神。孕みの五ケ月目を守る。木兄神。
    人体では、髪の毛・肝臓を守り、寅歳の守神。東。
  • 一、活杙神
    〔いくぐいのかみ〕
    前の神の働きを伸ばす神。孕みの六ケ月目を守る。
    木弟神。卯歳の守神。東。
  • 一、大戸之遅神
    〔おおとのじのかみ〕
    ぬくもりの元の神。孕みの七ケ月目を守る。火兄神。南・夏を司る。
    人体では、心臓を守り、己歳の守り神
  • 一、大戸之弁神
    〔おおとのべのかみ〕
    前神の働きを受け、孕みの八ケ月目を守る。
    火弟神。午歳の守り神。
  • 一、面足神
    〔おもたるのかみ〕
    金気の神。孕みの九ケ月目を守る。
    金兄神。人体では、骨・肺臓を守り、申歳の守り神。
    西・秋の守り神。
  • 一、綾惶根神
    〔あやかしこねのかみ〕
    前の神の働きを完成する神。孕みの十ケ月目を守る。
    金弟神。酉歳の守り神。
人の始めの神
  • 一、伊邪那岐神
    〔いざなぎのかみ〕
    高皇産巣日神の御力をうけ持つ男神。
  • 一、伊邪那美神
    〔いざなみのかみ〕
    神産巣日神の御力をうけ持つ陰神〔めがみ〕。

神理教の特色

  • 一、奉斎主神(天在諸神)
  • 二、古神道(純神道)
  • 三、御教祖(佐野巫部経彦命)の存在
  • 四、神理(教義)の完成
  • 五、霊魂観
  • 六、言霊学
  • 七、産須根信仰(先祖崇拝)
  • 八、皇室崇拝

以上の八項目が掲げられる。

  • 一、奉斎主神は、古事記冒頭に書かれている天之御中主神から天照皇大神まで、十八柱を総称して天在諸神(あめにますもろもろのかみ)と称え奉る。天地の親神である。
  • 二、古神道(純神道)とは、仏教渡来以前から我が国にあった固有の信仰であり、本来の「神の道」を求めるものである。
  • 三、御教祖は、天保五年二月十六日に現在の神理教本院で生誕され、明治三十九年十月十六日に七十三才で帰幽された。物部氏より分かれた巫部氏の七十七代目である。凡そ神社神道には、教祖がなく自然発生したものであるが、教派神道には教祖が居られる。故に神理教であって御教祖を知らなくて神理教は判らないと言える。
  • 四、神理(みことわり)とは、教義のことである。代々巫部氏に伝承されたものを御教祖が祖述大成された教えの要点は「敬神尊祖」である。人生の処世を始め、病気に至るまで多くの著書が残されている。
  • 五、霊魂観。一霊四魂〔いちれいしこん〕説を唱える。人は神により分霊を戴き、肉体に宿ったとき初めて人(霊止り〔ひとま〕)になるというのが、古神道の霊魂観の根本提議である。そして、その霊は幸魂・和魂・荒魂・奇魂の四魂をいう。
  • 六、言霊学。十代・五十言宿祢(宗祖)が明らかにした「五十言伝」を神理教の教義の一端とし、言霊神理を強調する。「言語有本教(げんごにもとつおしえあり)」「語自神代極(ごはかみよよりきわまる)」と説かれている。言霊に関連して、太占〔ふとまに〕・禁厭・鎮魂などに力を注いでいる。
  • 七、産須根信仰。先祖崇拝である。現在の我々の生活の有様〔ありよう〕は先祖の善因善果・悪因悪果であると説く。さらに死後の霊魂の在り方、その霊魂の守護力そして神格化への子孫の役割などを教義として説いている。
  • 八、皇室崇拝。神理教だけでなく神道全般は、天皇の御民であるとする思想か強調されている。

幕末・明治と世の激しく変わる中、宗教界に於いては神教派がぞくぞくと誕生した。御教祖は国学・和歌・医学などに精通し、父経勝翁の遺言で本格的に巫部神道の祖述に邁進した。御教祖は四十三才の時神告を受け、明星代神として「惟神の大道」を説く使命を与えられ、以後は全国布教に力を注ぎ、明治十三年に開教・同二十七年には独立し初代管長となる。激務の中、著書・教歌・日誌など厖大な業績を残している。

御教祖の教義は難解であると言われているが、先人達が解釈したものが掲載されている「神理誌」を始め、出版された本を読めば根本義は判りやすい。御歌・御教語・御遺言状だけでも是非読んで頂きたい。

御教祖を知ること、教祖主義に近づこうと努力する事が、神理教を学び信仰する窓口であると言っても過言ではない。